2009年5月25日月曜日

第5回議事録 — 後編

長々とおつき合いいただき有難うございます。後編です。

引き続き「地元の昔話、興味を持っている地域の神話、宗教の聖典にみられる訓話」について。
次は、清水さんが地元岡山の「桃太郎」について詳しく調べてきてくれました。


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・清水さん:「時代ごとの桃太郎」

実は桃から生まれていない桃太郎。
起源は邪馬台国の戦争から…
この最初の桃太郎が、時代によって様々に変化する。

以下、清水さんからの資料。

・江戸時代初期の赤本『桃太郎話』『桃太郎昔咄』=回春型

薩摩政権=万国と並び立つには人材育成が不可欠と考える
・ 明治20年 検定初頭教科書『尋常小学読本』に桃太郎を採用=果成型へ
赤本→教科書への書き換え
◆ 性話を削除 子供の誕生を疑問に思い本筋から離れてしまわないため
◆ 討伐の動機 宝物を取りに行く侵略者→悪い鬼を懲らしめに行く討伐者
◆ 供の動機  きびだんご欲しさの従軍→人格に惚れた参加
◆ 鬼     分捕られる→自発的になびく
=薩摩政権は桃太郎を通じて国を守り、孝行を尽くし、悪と対峙する正義の味方というイメージと教訓性を形成しようと試みた
・ 明治33年 歌唱を作る=国家にとって期待される桃太郎像を音楽教育面からも子供に植え付ける

・1910〜20年 大正デモクラシー期にかけて表れた児童文学運動の担い手であった童心主義者によって、男性的な若衆→可愛らしい中性的な少年へ
・昭和8年 公教育の場でも童心主義思潮となり国定教科書でも少年桃太郎に

軍国主義時代=軍国主義のシンボル化へ
◆明治37年(日露戦争期)『明治桃太郎』明治生まれの桃太郎が軍服姿でシベリアにある鬼が島へ向かう
◆ 昭和8年『少年倶楽部』の中の「桃太郎遠征期」桃太郎が悪魔の支配する外国を制覇し天皇陛下の教えを広めていく連載小説の始まり
◆ 昭和17年(第二次世界大戦期)『進め!桃太郎』戦闘機に乗って爆弾攻撃
◆ 昭和18年 東宝漫画映画『桃太郎の海鷲』風神特攻隊になって真珠湾攻撃
=戦意を煽り正しい戦争をしているのだという宣伝効果を軍部は期待した

・昭和20年 敗戦=“戦気高揚の罪”で米軍により戦争犯罪人に指定された
・ 昭和25年 『ただの桃太郎』で復活

桃太郎の「勧善懲悪」という基本的なストーリーは変わらないものの、その時々の歴史背景にマッチした桃太郎に書き換えられた

洗脳のため、桃太郎が使われていたことがよくわかります。
時代ごとに並べてみると非常に面白いですね。


日置さん:
あえて「子供」にする 金太郎と桃太郎
→「男性的な若衆→可愛らしい中性的な少年へ」という部分

「子供が頑張って悪をうち、富を得る!」という構図を明治政府が子供へ植え付けた。

・男の子の立身出世
・女の子の玉の輿


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高澤さんより追加資料:
・世界の神話伝説より
・悪魔事典
・妖精事典

物語に「悪」は必要である。

公文さん:
物語には善悪が存在すると思った。



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本日のまとめ


全体の流れ
  • 幼少期に素直に信じていた話も捻くれた見方がある。
  • まったく「無」からの物語はあるのか?という懐疑。探すとなにかのきっかけがある。
  • すでにある話の中をいじるのではなく、既にある話に話をかぶせる構成もある。

造形生:これからの作品への展開について
  • 坂本:神話やファンタジーなどの物語の方向性をまとめたものをやってみてはどうか
  • 小野:今出てきているものをまとめて再度考える必要があるのでは
  • 公文:伝えていくうちに変わってしまうわけではなく、手を加えて変わってしまった話が気になる。(ex:桃太郎/ヤマタノオロチ)
  • 糸長:童話など子供に教えるための物語、大人のために変えられた物語時代によるものもある。今の時代にあった物語をつくるべきか。
  • 橋本:ストーリーの原点をもっと勉強すべきか?
  • 松田:「きっかけ」が気になる。樹形図にして全ての物語のはじまりがあるとしたらおもしろそう。
  • 清水:物語を多方面から見る立体的な見方が面白いと思った。数話の別の話で一つの物語の世界が見える。
  • 折原:登場人物の異常性を伝播する過程に物語がついた可能性はないか?
  • 秋山:物語を立体的に見せること、相関図的に物語をつくって一つの読みやすい話を一話ではわからなくても全体で見てなるほどと思うことが面白いのでは?
  • 高澤:昔話は今はもう通じないのではないか?時代と合致しないから共感できない、イメージができない。生き残っている昔話はあるのか?
  • 椙田:糸長さんの「ロミオとジュリエット」の物語の方向性=新しい見せ方が面白いと思った。


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日置さんより:


発祥・発展は調べた。
残った物語
(元は〜だったが、現在も形式を変えて残っている物語)に注目してみよう。


何故残ったのか?


→形式が、マーケティングの面・時代背景などいろいろな理由により変わってはいるが、結局は読者の聴きたいことが残っている=それは必然である。



御伽噺(おとぎばなし)


伽…話し相手になって退屈を慰めたり機嫌をとったりすること

=「お話で暇をつぶすこと」


ex:「アラブの千夜一夜物語」

王に殺されそうな主人公が、千夜に渡って毎夜王に話をしては気を紛らわさせ、終に殺すのを止めさせたという物語。



必然とは別に話=エンターテイメント



話=エンターテイメント

→踊り

→音楽 …などとして存在

人間は物語を楽しむという性質をもっている。


「昔話が共感できない」というのは確かにそうだが、現在もシチュエーション・形を変えて生きている。

…アニメ、コミック、携帯小説



物語の形式、人物の中身はどれもかわらない。
形=衣装を変えてあげているだけである。

それでは、オリジナリティはあるのか?ということになるが、何の衣装をまとうかで名義はできる。

そこにどんな自分の考えを入れるかが作家性。

どのように見せるのかがデザイン性。


「異常者からの物語」という考え方は面白い。

今で言うと薬付けの人物、なんでもかんでも死ぬというシチュエーションか。


週刊誌の題決めの定理

・誰もが気になっている

・言われるまで誰もが気がつかない

・ 誰もが触れたがらない

→この3つのうちどこかが使われている。


物語も同じことが言える。


最後に:

検証した物語を古いから捨てるのではなく、時代の価値観、私たちの考えること・野望をどのように服として着せるかを考えてみてほしい。

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